コラム

2020.05.23 ノン・ノンの「魔法のドレス」 

2015年、テレビ朝日の「路線バスで寄り道の旅」という番組を見ていた時のことです。(後日調べると、2015年2月1日放映)
 
徳光さんが、深大寺のそば屋さんにカバンを忘れた辺りで流れていた曲が、妙に、感じるものがあり、とても興味を引きました。
 
その後、曲名を調べましたが、見つけることができません。
そして、どうしたら見つけられるだろうかと思いつつ、時間が経過していきました。
 
その後、番組は、YouTubeで見ることができたので、その曲がわかるのか、「Yahoo!知恵袋」に、問い合わせの投稿をしました。
そして、回答がありましたが、違っていて、見つけることができませんでした。
 
その後、思い出しては、何だろうと、探しました。
そして、曲や歌詞が昔っぽいので、昔のアイドルの曲を積極的に聴いて、いつかその曲に出会える日が来るのではないかと思っていました。
しかし、何年経っても、たどり着くことができません。
 
今年になり、探し始めると、YouTubeの番組は消されていて、更に、手掛かりの一つが無くなってしまいました。
そうした中、4月、ようやくその曲名がわかりました。
 
歌詞がわかっていたので、以前から、それを使って検索をしていたのですが、今回、偶然に、その曲にたどり着きました。(以前もやっていたのですが、その時は、ヒットしませんでした)
 
そして、やっとわかった曲は、「ノン・ノン」という女性三人のグループで、「魔法のドレス」という曲でした。
 
何となく、昔のアイドルの曲かと思っていましたが、違っていました。
私が思っていた年代よりも更に古く、驚いたことに、作詞は、「ザ・フォーク・クルセダーズ」の「帰って来たヨッパライ」の松山猛氏、作曲は加藤和彦氏でした。
 
年代も、1973年でした。
そうか~。
シモンズなどの頃なのか~と思いました。(単に、当時の女性グループつながり。深い意味はありません)
 
プロフィール
 

  • 光本恵子  S28年1月8日 リードボーカル、ギター、ピアノ
  • 北野真美子 S27年6月14日 ボーカル、ベース
  • 菊池尚子  S27年12月4日 ボーカル、ギター

 
「魔法のドレス/コスモス娘」 

  
そして、曲は、レコードでしか聴くことができないものと思っていました。
しかし、以下のオムニバスアルバムに収録されていることかわかり、早速購入しました。
 
探し始めて、5年。
ようやく、その探し物が解決しました。 
 
「時にまかせて ~SFレーベル・カルト・コレクション VOL.1」

 

  • 1  時にまかせて/かねのぶさちこ
    2  愛のデュエット/チェリッシュ
    3  だれ髪/サウンド・スペース
    4  午前中の時間割り/メープル・リーフ
    5  もう頬づえはつかない/荒井沙知
    6  雨だれを数えながら/荒井沙知
    7  ほしのでんせつ/かねのぶさちこ
    8  私のブルース/藤原秀子
    9  もしもボクの背中に羽が生えていたら/五つの赤い風船
    10 サルビアの花/岩渕リリ
    11 さよなら/柘植章子
    12 魔法のドレス/ノン・ノン
    13 あたたかい木曜日の午後/武部行正
    14 朝/安間龍八郎
    15 退屈ですネ/都会の村人
    16 通り雨 /金森幸介
    17 雪あかり/サンズ・オブ・サン

2018.09.06 宮城まり子さんのこと 

歳を重ね、多くのことを忘れている。
今回、ひょんなことから、「宮城まり子」さんという単語を知らされ、忘れていた昔のことを思い出しました。
 
もう、本当に昔のことである。
楽屋の窓から」という本を読んだことを思い出しました。
そして、以前住んでいた家から、今の家に引っ越して来た後、本が整理できずにいるダンボール箱の中から、本を探し出しました。
 
いつ読んだのかは、わかりませんが、本は初版本で、「昭和四九年」と書いてありました。 
そして、早速読み返してみました。
 
読み進めていくうち、もう一つ思い出したことがありました。
そう、考えてみると、「ねむの木の詩がきこえる」という映画も、どこかで観たような気がして来ました。
 
そして、古いチケットを調べました。
 
やはり、観ていました。
半券を見ると、昭和52年の8月25日に、神保町の「岩波ホール」で観ていました。
そうなると、この時に購入した、映画のパンフレットも、押入れの中に入っているのではと思います。 
後で探して、映画がどんな内容だったのか、調べてみたいと思いました。
 
また、この本を読んでいた頃、別の障害のある子どもの本も、いくつか読んだことを、思い出しました。 
 
そして、「楽屋の窓から」。
このエッセーには、「今日は1971年」と書いてあります。
47年前の日本なのだ。
あの頃の、デモがあったりした時代を思い出しました。
  
そして、40年以上が経過して、今、また「宮城まり子」さんという人を意識し、感動している自分がいました。
 
 
 
『十三年前に感じ、六年前にようやく実行し、それから五年後に本にし、六年目の今、私の、やっていることは少しずつ違うのだけど、心の奥の感じかたは同じだと思うと、おかしくなります。
そして、今、私が考えつづけて来たことの意味を、あらためて思っています。』(一九七四・九) ー「楽屋の窓から」より ー

 

2018.09.08 追記
 

パンフレットが見つかったので、掲載しました。
そして、本人、寄稿者の活字を追いながら、映画を思い出しました。

 

2018.09.15 追記
 

先日、「ねむの木の詩がきこえる」のパンフレットを探していたら、懐かしいパンフレットが、たくさん出てきました。
その中に、「東京キッドブラザース」のパンフレットもあって、その頃に読んだ本を読み返してみようと思っていたら、もう一冊、宮城まり子さんの本が出てきました。
 
そして、早速読み返してみました。
感想は、言うまでもありません。

 

2020.03.23 追記 
 

3月21日、宮城まり子さんが死去されたことを、本日のニュースで知りました。
まり子さんは、昨年、癌と診断され、その後、肺炎で入院し、今回、悪性リンパ腫で亡くなられたとのことでした。
93歳でした。
 
2年前、偶然の出来事ですが、宮城まり子さんのことをまとめる機会があり、当該コラムに整理をしました。
 
そして今回、また一つ、思い出が消えていく出来事になりました。
ここに、宮城まりこさんの功績を振り返りつつ、ご冥福をお祈りいたします。

2011.10.07 赤い鳥の「竹田の子守唄」を考える。 

部落の事を歌っている、いつの間にか放送禁止歌になってしまった、歌詞も何か違うものがあるなど、知ってはいましたが、その背景を知らなかった「竹田の子守唄」。
藤田正さんの「竹田の子守唄―名曲に隠された真実」を読んで、ようやくその背景を理解することができました。
 
1964年、奈良の被差別部落を描いた、住井すゑさんの小説「橋のない川」を、東京芸術座が舞台公演するため、舞台音楽を尾上和彦さんに依頼。
 
依頼を受けた尾上さんは、舞台にふさわしい音楽を探して「おふくさんの子守唄」にたどり着きます。
この歌に、現代的なアレンジを加えて出来上がったのが、「竹田の子守唄」でした。
 
詳細については、「竹田の子守唄―名曲に隠された真実」を読まれる事をお勧めします。
 
最初は、その舞台や部落解放集会で披露され、その後、京都のフォーク・サークルに伝わっていきます。
 
大塚孝彦さんや高田恭子さんらが歌い、特にその歌に注目したのが、後藤悦治郎さんでした。
 
後に、「赤い鳥」を結成して、1969年の第3回ヤマハライトミュージックコンテストで披露。
フォーク部門のグランプリを受賞しました。
 
私が初めて「竹田の子守唄」を知ったのも、正にこの時でした。
 
赤い鳥の「竹田の子守唄」が聴けるレコードは、以下のとおりです。

  • EP お父帰れや /竹田の子守歌(URCヴァージョン)1969.10.01
  • EP 竹田の子守歌(シングル・バージョン)/翼をください(シングル・バージョン)1971.02.05
  • LP 竹田の子守唄 1971.07.25
  • LP スタジオ・ライヴ 1971.12.20
  • LP ミリオン・ピープル~赤い鳥コンサート実況録音盤 1973.12.25
  • URCは、インディーズレーベル

 
この中で、1971年の「LP スタジオ・ライヴ」以降、以下のように歌詞が差し替えられました。
 
最初のバージョン

  • 守りもいやがる 盆から先にゃ 雪もちらつくし 子も泣くし
  • 盆がきたとて なにうれしかろ 帷子(かたびら)はなし 帯はなし
  • この子よう泣く 守りをばいじる 守りも一日 やせるやら
  • はよもゆきたや この在所(ざいしょ)こえて むこうに見えるは 親のうち
  • むこうに見えるは 親のうち

 
途中から歌詞が変わった「竹田の子守唄

  • 守りもいやがる 盆から先にゃ 雪もちらつくし 子も泣くし
  • 久世の大根めし 吉祥の菜めし またも竹田の もんばめし
  • この子よう泣く 守りをばいじる 守りも一日 やせるやら
  • はよもゆきたや この在所(ざいしょ)こえて むこうに見えるは 親のうち
  • むこうに見えるは 親のうち

 
歌詞の内容についても、「竹田の子守唄―名曲に隠された真実」に詳しく記載されています。
 
また、面白かったのは、1970年にメジャーデビューしますが、この時に「竹田の子守唄」の歌詞がよくわからないということで、山上路夫さん作詞により、歌詞が書き換えられ、「人生」という曲名で、アルバム、シングルに収録されます。
 
しかし、「竹田の子守唄」に魅せられた赤い鳥は、1971年に元の歌詞に戻して再び「竹田の子守唄」として発表します。
 
また、ファーストアルバム「FLY WITH THE RED BIRDS」に収録された「人生」が、後にCD化されますが、この際、収録曲から外されたというのも、初めて知りました。
 
私が持っている「FLY WITH THE RED BIRDS」のCDは、「2010年 My Favorite CD」で紹介した「赤い鳥 コンプリート・コレクション」で、この中での収録は、LP盤と同じでした。
 
また「竹田の子守唄―名曲に隠された真実」には、CDが添付されていて、部落解放同盟改進支部女性部による「竹田の子守唄(元唄)」、「竹田こいこい節」は、大変興味深い歌でした。
 
いろいろな背景のある「竹田の子守唄」ですが、改めて「赤い鳥 コンプリート・コレクション」に収録されている「竹田の子守唄」をすべて聴き直しました。