漂流

今年の夏旅が終わった後、「ねむの木の詩がきこえる」のパンフレットを探す機会がありました。
その時、懐かしいパンフレット、本を見つけて、今、これらを一度整理したいと思いました。
 
時代の流れの中で、大きく影響を受けた出会い。
そして、今も魅力を感じる出会い、いつの間にか離れていった出会い、もう必要がなくなった出会い。


2018.9.17
2024.1.18

下田逸郎  

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  • ラブとリップ
  • 1973.8.20
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  • 1974.7.31
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  • 1974年9月頃
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東京キッドブラザースと東由多加 

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    • 1977.7.2
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    • 1975年
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    • 1978年
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    • 地球よとまれ、ぼくは話したいんだ
    • 1977.12.15
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    • 1977年6月
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    • 1978年
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    • TOKYOKIDBROTHERS KID
    • ぼくらの時代
    • 1977.12.15
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  • 1977年10月
  • 新大久保に、[シアター365] をオープン
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馬場こずえ 

いつか整理をしたいと思いつつ。 

  • NHKの「若いこだま」の火曜日担当
  • パック・イン・ミュージック第2部の「こずえパック」(水曜深夜)1971.4~1974.8
  • 「いすゞ歌うヘッドライト~コックピットのあなたへ~」(水曜深夜) 1974.9~1975.3
  • 「馬場こずえの深夜営業」(土曜深夜)1975.10.5~1978.4.2

 

  • Neil Young の「Till The Morning Comes」
  • フランク・チャックスフィールドと彼のオーケストラの「引き潮」

気がつくたびに、ネットで確認、YouTubeで、懐かしいこずえさんの声を聞いていたこともありました。
そんな、馬場こずえさん。
 
何と言っても、よく聞いていたのは、パック第2部の「こずえパック」でした。
 
あっけらかんとした、こずえさんのトークは、いつも、とても居心地の良い時間帯でした。
そして、「自由提出課題」のコーナーは、毎回、楽しみに聞いていました。
 
「馬場こずえの深夜営業」の「こずえ式論理学講座」も、懐かしいコーナーでした。
「歌うヘッドライト」は、今までのこずえさんらしくなくて、だんだん聞かなくなってしまいました。
 
今回、押入れの中を整理し、「こずえパック」の最終回(1974.8.29)のカセットテープを発見。
早速聞いてみると、懐かしいの一言です。
 
最終回の、「自由提出課題」のテーマは、「今日(こんにち)の放送界に与えた馬場こずえの多大なる影響」でした。
 
そして、今日の選曲は、全て Neil Young でした。
「Till The Morning Come」で始まり、最後の Neil Young も、「Till The Morning Come」でした。
 
今日は、こずえさんの歌も聞けました。(きれいなこのは?)
 
そして、最後は、いつもの「引き潮」でした。
 
「こずえパック」は、来週から、「歌うヘッドライト」へと変更されるのですが、この時、こずえさんは、新しい番組の内容をちゃんと理解していなくて、最後の言葉は、歌謡曲中心に、今日と同じようなことができるものとしてのコメントでした。
 
あたしが、あの、このスタジオっていうか、パックのスタジオに、一番最初に見学に来た時は、郷司淑子さんという、TBSのアナウンサーがやってらっして、最後の時に、あの、本当に最後に、泣かれたんですね。その時がものすごく印象に残ってるんですけど、あたしは、辞めるわけではないのに、今、本当にドキドキ、ドキドキしていて、どうなるのかなっていう感じです。来週からも、あの、よろしくお願いします。それではまた来週、お元気でね。さようなら


2018.9.20
2018.10.03 全面的に修正
2022.10.02 一部のフォント変更

つかこうへい 

  • 1980.4.25

つかこうへいさんの「熱海殺人事件」の本を読んで衝撃を受け、観に行ったのが、つか演劇の始まりでした。
 
このひねくれた展開、しかし、その深淵に流れるのは、決して人を突き放さない、何か特別の力、非常に不思議な感覚を感じました。
 
初めて、つか演劇を観たのは、1979年、渋谷の「パルコ7$シアター」の「平田満ひとり会」と書かれた、「いつも心に太陽を」でした。
 
この演劇も毒があるもので、一気に、つか演劇に傾倒していったのを覚えています。
 
その後は、以下のとおりです。

1979.02.12

「平田満ひとり会」 渋谷・パルコ7$シアター

1979.08.14

「広島に原爆を落とす日」 渋谷・パルコ7$シアター

1980.02.23

「初級革命講座 飛龍伝」 高田馬場・東芸劇場

1980.04.25

「熱海殺人事件」 新宿・紀伊国屋ホール

1980.11.02

「熱海殺人事件」 新宿・紀伊国屋ホール

1987.04.18

「ソウル版 熱海殺人事件」 新宿・紀伊国屋ホール

1989.09.13

「幕末純情伝」 渋谷・パルコ劇場

2005.03.05

「熱海殺人事件 〜平壌から来た女刑事〜」 新宿・紀伊国屋ホール

 
1986年には、「映画版 熱海殺人事件」も観ました。
 
「広島に原爆を落とす日」の初々しい「かとうかずこ」さん、「熱海殺人事件」のオープニングの「白鳥の湖」、「マイ・ウェイ」で登場する加藤健一さん、思い出されるあの空間は、今でも懐かしい限りです。
 
その後、1982年に劇団が解散となり、私もしばらく演劇鑑賞から遠ざかってしまいました。
 
そして、1987年。「ソウル版 熱海殺人事件」を観ましたが、その時は、何かが変わっていました。
 
私自身が変わったのかも知れません。
 
また、1988年。
加藤健一事務所の演劇を見て、こんな演劇があることを知り、加藤さんが目指す演劇が、心惹かれる演劇に変わっていきました。
 
その後、つか演劇でふたたび心揺さぶられるということは、起こりませんでした。


2018.9.24

サルヴァドール・ダリ(Salvador Dali) 

  • 1981.2.28

2018.9.24

マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp) 

  • 1981.9.15

当日、会場で、高校の時の友人にばったり出会ったのには驚きました。
 
今はどうしているのかなぁ~
元気でいるのかなぁ~ 


2018.9.24
2021.9.12 今の思いを追加